2011/10/16

121北総石仏 柏の石仏 篠籠田(しこだ)


国道16号線と国道6号(水戸街道)がX字形に交わる呼塚交差点の西方にあたるのが篠籠田(しこだ)地区です。呼塚交差点の約1.5km西に高田小学校がありますが、これを目印にして川を挟んだ南方に真言宗西光院があります。
121-1 西光院の石仏庚申塔
立派な門前に柏市無形文化財「篠籠田の三匹獅子舞」の解説板があります。読んでおきましょう。
山門をくぐると広い境内の西光院
 まず参道左に文政十三年(1830)需道(待道)大権現石祠、文政三年(1820)文字庚申塔、享和二年(1802)文字青面金剛塔が並んでいます。
中央の庚申塔の面白三猿に注目です
 参道反対側には、昭和10年文字馬頭観世音塔と年不明ながら種字ウーンを深く掘り込んだ文字青面金剛塔が建っています。更に進むと数基の庚申塔がお出迎えです。
左から天保十三年(1842)文字庚申塔、嘉永七年(1854)出羽三山・百観音巡拝塔、元禄十六年(1703)六臂合掌青面金剛塔、享保三年(1718)合掌青面金剛塔、享保十四年(1729)合掌青面金剛塔、宝暦九年(1759)文字青面金剛塔となっています。その続きが下の写真です。
左端の文字青面金剛塔が上の写真の宝暦九年塔です
左から正徳三年(1713)石灯籠、延宝九年(1681)や寛文年間を刻んだ延命地蔵墓塔、延宝二年(1674)十九夜如意輪観音塔、宝暦四年(1754)宝篋印塔となっています。 見辛い写真と気になるものを下に載せておきます。
文政三年塔の三猿
天保十三年塔では右の磐上に小さい見猿がいます
樹下の延宝二年十九夜塔です
境内には林の中の散策路として石仏を配置した小道もあります。ただ、いろんな種類の石仏が配置されているので少々あたまを使いますね。
文化三年(1806)聖観音塔、文政九年(1826)普門品一万巻供養塔、宝暦十二年(1762)三面馬頭観世音塔、弘化五年(1848)地所弁財天石祠、年不明不動明王、文政十一年大日供養塔、文政十三年稲荷大明石祠、天和二年(1682)西国坂東秩父百観音巡拝塔、安政六年(1859)二十三夜塔などなど。
宝暦十二年三面馬頭観世音
本堂前を左に墓地へ向かいます。墓地入り口にも馬頭観音などが祀られています。 地蔵菩薩の間に寛政七年(1795)十九夜観世音菩薩塔、享和二年(1802)・天保六年(1835)馬頭観世音塔は頭部に馬印が付いています。
左が享和二年塔・右が天保六年塔で中央は不明板碑です
 西光院はちょっとした石仏集会所で、様々なものが集合しています。それだけ開発の波が押し寄せてきた経緯がある集落だったのかもしれません。
121-2 地主神社の石仏
西光院の東方500m、市立第七小学校の近くに地主神社があります。祭神は大己貴命です。神社の謂れはこちらをご覧ください。
寛保年号(170年代)の神号軸があるとか
立派な朱塗り四脚鳥居
石仏とタイトルしましたが、実際は石神のみですね。境内には雨除けに収納された石祠石塔が点在しています。天保七年(1836)疱瘡神、明治5年雷神社、天保十四年(1843)住吉神社・天照皇太神宮、天明四年(1784)山神社、嘉永元年(1848)仙元宮、年不明大杉神社等等であまり変化のない神々です。
富士塚上に嘉永元年の仙元宮があります

121-3  新田寮の石仏
資料には新田寮と記載があります。当地方では墓所にあった庵などを寮と称して、在所にある墓地も総称して何々寮と呼んでいるようです。地主神社前の道路を約800m東進した南側にあります。
右ブロック塀沿いが地主神社からの道路です
入り口に屋根付台石うえに享保十八年(1733)六地蔵です。保存がいいです。その側面に7基の石仏が露座で並んでいます。
今度は右からいきましょう。元禄十五年(1702)「奉造立庚申待講衆供養為二世安楽也」三猿庚申塔、享保十三年(1728)六臂合掌青面金剛塔、天保四年(1833)文字青面金剛塔、正徳五年(1715)・寛政八年(1733)十九夜如意輪塔、文政三年(1820)湯殿山三山大権現三峰四国百観音巡拝供養塔、昭和36年馬頭観世音となっています。
板駒型元禄十五年三猿庚申塔
これらと向き合うように、崩れかけた文化九年(1812)大乗妙典日本廻国塔と享保十年(1725)丸彫地蔵菩薩が祀られています。この地蔵塔は台石に「奉執行十九夜成就所」を刻む十九夜塔ということになります。
左の日本廻国塔は剥離が進んでいます
石仏としての保存は安泰ですが、手を合わせるのにはちょっと味気ない雰囲気ですね。



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