2009/01/10

19E.江戸の石仏 鬼子母神から西早稲田Ⅱ

前回は金乗院を経て根生院の釈迦如来までやって来ました。金乗院前まで戻り宿坂道を150m程南下すれば南蔵院が左手にあります。ガイドは昭和51年「石仏の旅 東日本編」です。2003年「江戸・東京・石仏ウォーキング」も参考テキストです。 
19E-1.南蔵院の来迎阿弥陀
門前に「名作怪談乳房榎ゆかりの地」と大きな表示板があります。三遊亭圓朝が創作した怪談落語らしいですが、日本三大怪談=四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠に比べるとメジャーでないので私は聞いたことがありません。境内に入れば赤い涎掛けの石仏達と本堂が見通せます。又、その手前右手に8基の石仏が一列に並んで迎えてくれています。左から年代不明の不動明王、延命地藏、元禄?紀年銘と元禄十二年(1699)の三猿文字庚申塔、貞享三年(1688)笠付合掌青面金剛塔、延宝八年(1680)笠付「庚申塔婆」塔、明治43年・大正4年文字馬頭観音塔であります。不動明王と庚申塔婆塔を載せておきます。この寺で見逃せないのは本堂左横におわします三体の来迎印阿弥陀立像です。左から寛永十四年(1637)・寛永十七年(1640)・寛永七年(1630)の正面紀年銘が読めるらしいですが今は柵の中に入れず読めません。でも、昔の人はこの立派な阿弥陀様をみて極楽浄土を確信したんだろうなと想像してしまいました。他にも特徴ある石造物を見ておきましょう。下の写真は手前に八手弁財天(下に拡大画像)、弘法大師千年御忌供養塔、明治27年宝塔(円筒形)と並んでいます。宝塔は形が異国情緒たっぷりな気がします。弁才天は一般には琵琶持ち二臂像が知られているようですが、「金光明最勝王経」で弓・箭・刀・沙・矟・斧・長杵・鉄輪・羂索を持つ八臂像が説かれているので、この八臂像は多分忠実に作られたものでしょう。(日本石仏事典) 「房総の石仏百選」弁財天と改めて比べてみると、矢張りお江戸石仏との違いに愕然とします。この並びにある万治元年(1658)の宝篋印塔は、初心者が見ても見ごたえのある立派なものでした。名力士の墓地も隣接しているようですが、私には余り関心がないことと注意書きもあることですし墓地の観仏は遠慮しました。
19E-2.山吹の里の如意輪観音 
 南蔵院を出てさらに南下し新目白通り面影橋に出る手前がアルプス電気の正門です。この角に「山吹の里」の説明板と弥陀三尊の種子を刻んだ貞享三年(1686)光背形如意輪観音が見られます。此処が太田道灌の故事で有名な場所であることや、この石仏は墓標を改刻した物と想定されている話は石仏ガイド本でおなじみです。面影橋を渡って100mも行かずに左手に日蓮宗亮朝院(りょうちょういん、亮は明るいという意味)があります。 
19E-3.亮朝院の仁王 
 赤い山門の前に「南無妙法蓮華経十万部」と立派な石柱が目印です。しかし、山門を通して見えるお堂には「七面大明神」と表示があるのでちょっとビックリします。実は亮朝院本堂は左手に隣接した敷地にあります。門をくぐると参道の両側手前に古風な感じの狛犬と一段高く仁王像が境内を圧倒しています。庶民が手で触れて信仰できるようにした大変珍しい石仏と説明版にありました。背中の紀年銘を読みそびれたのですが仁王は宝永二年(1705)狛犬は延享元年(1744)とガイド本に記載されていました。又、北総石仏ではおなじみですが庚申塔の日蓮宗版である享保十年(1725)「奉勧請南無帝釈天王」塔が本堂前右手奥にあります。隣接の亮朝院本堂から鐘楼つくりの山門を出て新目白通りへ戻ります。右折で新目白通りを早稲田に向かって西方に向かいます。 
  19E-4.甘泉園公園 
 途中に新宿区立甘泉園公園があります。広さ14,000㎡の回遊式庭園(別名 大名庭園)で中央に池がありその湧き水は茶の湯にあって公園名の由来となりました。徳川御三卿清水家→相馬公爵→早稲田大学→東京都→新宿区と所有者は変わってきましたが今も典雅な景観を保っています。冬には見事な雪吊りが見られます。東屋もあって観仏の休憩に最適です。 公園の高台を登るように抜ければ水神社参道に出ます。次の観音寺へは早稲田大学の正門を目指してください。 
19E-5.観音寺の恵比寿・大黒・弁財天 
 早稲田大学の大熊講堂と大学正門の間の道をキャンパス沿いに左に回りこむように100mも行けば正面に近代建築の観音寺が見えてきます。観音寺参道は三叉路の楔形となっており右手に石仏が並んでいます。一番手前は丸彫りの福俵に立つ大黒天と岩座に右膝立てて大鯛を横抱きした恵比寿が共に仲良く並んでいます。年代不明です。その並びに六体の石仏が並びます。(写真にはありませんが右端の木の隣も墓標仏があります)左端は寛文七年(1667)聖観音庚申塔で異体字の庚申と「伍諸」=後生が珍しいとガイドにあります。隣は貞享四年(1687)弁財天です。南蔵院で見た弁財天と比べると頭上の鳥居がないことと宝冠に蛇が刻まれていることが違っています。次に寛文四年(1664)地蔵菩薩庚申塔です。これも異体字庚申の文言と「三年一座」文言が資料的に面白いと思います。隣の聖観音菩薩は紀年不明です。残り2基は墓標なので割愛です。以上で西早稲田までたどり着きました。大学紛争時に来たことがある大熊講堂がこんなに立派だとは、異国に来たような感慨を味わいました。今回の遠足はこれで一区切りとしましょう。このコース最後は西部新宿線を中井~鷺宮まで足を伸ばします。

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