18E-1.鬼子母神堂の石仏群
都電荒川線で鬼子母神前駅か、JR目白駅から目白通り・千登世橋交差点経て都指定の天然記念物のケヤキ並木の参道を通り抜けると約1kmで鬼子母神堂に着きます。入口で迎えてくれるのは有名な石造仁王像、右に阿形・左に吽形の元禄九年(1696)市谷田町石屋弥五左衛門と十右衛門の作。力強さに圧倒されます。
それでは早速本堂右手にハイライトの鬼子母神(きしもじん)像を見てみましょう。明治13年白石惣一郎氏が設立した経緯は石像後ろの着物の裾に刻まれています。又、人肉の味がするといわれる柘榴がこの寺では吉祥果としてシンボライズされていますが、これも石像左右の袂に刻まれています。別名インドでは訶梨帝母(カリテイモ)など氏素性や詳しい情報はこの寺のHPで確認できます。鬼子母神堂本堂後ろに回ってみます。こちらには北辰妙見大菩薩の碑と説明文を前に立てた妙見堂があります。そして宝暦九年(1759)再建した灯篭にも吉祥果があしらってあるのが分かります。その脇には元禄十二年(1699)建立で宝暦八年(1758)再建した笠付「奉勧請南無帝釈天王」塔が建っています。本堂の前に戻ると左手には金剛不動尊を祀った法不動堂があります。その脇に四層の石塔があります。寛政三年(1791)建立の川上不白自筆の六万九千三百八十四個の一字一石法華経文言を納めた一字一石塔です。その経緯が記された自然石塔も建っています。何れもHPに記載があります。本堂脇に「御神木柘榴」と刻まれて由来など記した立派な石塔もあります。他にも武芳稲荷堂や天然記念物大公孫樹もあって見どころ一杯であります。鬼子母神堂を出て参道を戻ります。
18E-2.金乗院の倶利伽羅不動
都電の踏み切りを越え目白通りも高田1丁目交差点で直進して宿坂道を下り、約1kmで右に金乗院があります。門前からしてワクワクするような雰囲気です。右手に享保六年(1721)の天保三年(1832)の不動明王、享保六年(1721)弘法大師石柱などがあります。左手には宝暦八年(1758)地蔵菩薩や宝暦八年(1758)「江戸八十八箇所第三十八番目」表示石柱や宝永九年?(1712)「本尊十一面観世音・山之手第九番・江戸第十六番 はせ寺」表示石柱があります。この寺は目白不動とも呼ばれ江戸五色不動の第一番と由緒を語った説明板も読んでいきましょう。山門をくぐると右手に本堂がありその手前にお目当ての寛文六年(1666)倶利伽羅不動が置かれています。「倶利伽羅竜が剣にまとう形が不動明王の三昧耶形(仏・菩薩の悟境を象徴的に表したもの)であるところから倶利伽羅不動と呼ぶ」と日本石仏事典に書かれています。こうなると事典に記載ある青梅市成木・軍荼利堂の丸彫りは見逃せないなとさらに目標が広がります。右後ろにある明治五年修理・多宝塔をよく見ると、匂欄を踏ん張って支える邪鬼がいます。可愛いので紹介しておきます。本堂を前にして後ろを振り返ると白い塀際に寛政十二年(1800)鍔塚があります。「諸家冥加」「武運長久」と読めるでしょうか?本堂に向き直って右方奥に墓地の入口があります。手前の石畳の参道両側に石仏のお迎えです。葉蘭がある右手前に2基の延宝五年(1677)と元禄五年(1692)の三猿庚申塔があります。その奥に名号碑・庚申塔3基・不動明王・如意輪観音・聖観音・地藏と並んでいます。左には青面金剛塔・延命地蔵などです。いくつか紹介します。延宝四年(1676)笠付三猿庚申塔ですがご覧のように三猿が一面ずつに分かれています。次は年代不明の不動明王です。次は延宝八年(1680)如意輪観音です。房総ではポピュラーな石仏ですが、江戸では石仏の種類が多い為かそれほど目立ちません。次は元文五年(1740)の聖観音ですが光背が翼のように欠けていて天使のように見えませんか?更に階段を上がって墓地に向かえば丸橋忠弥の墓・青柳文蔵(青柳文庫創設)の墓などの表示があります。そこで見たものは・・・・かの有名な徳本念仏塔※です。房総石仏で未見だったので気にはしてたのですが、本稿を書いてる途中に気付きました。写真情報だと天保十一年(1840)建立のようです。徳本・丸に十字の花押について「鬼殺す心は丸く田の内に南無阿弥陀仏と浮かぶ月影」と彼は詠んだそうです(日本石仏事典)
※徳本行者(1758~1818)独特の書体を刻んだ名号塔
18E-3.根生院の釈迦如来
0 件のコメント:
コメントを投稿