2009/01/04

16.北総石仏 印西船穂Ⅱ

16-1.多聞院の月待塔 
もとの中郷への三叉路まで戻り三基の馬頭尊の前をとおり道なりに行けば、幹線道路の下を抜けて多聞院にたどり着きます。隣接の広場の端に子安観音など14基が並んで迎えてくれます。右から2番目は享保九年(1724)読誦塔ですが、他は如意輪観音の墓碑がほとんどです。丁度銀杏の落葉時に訪れたので金色の絨毯を敷いたような絢爛なシーンに出会えました。お目当ての月待塔ですがこの広場から隣接の多門院にはいり、本堂に向かって左手奥に10基の石仏が並んでいます。そのうち左側6基が六地藏です。その次が下の写真で貴重な安永四年(1775)十七夜如意輪塔です。十九夜・二十三夜・二十六夜は見てきましたが十七夜は初見で珍しいものです。その後に並ぶのは下の3石仏です。左から貞享元年(1684)十九夜塔で当地区特に古いものだそうです。次が文政四年(1821)、寛政九年(1797)の十九夜塔です。 当寺には妃である吉祥天、息子の善童子を従えた毘沙門天がおられます。その身上書がおかれています。16-2.火皇子神社 
多門院を出て東方向へ行き300mほどで畑の中に鳥居を見出せば火皇子神社です。薄暗い参道の左側に19基の庚申塔群が並び、右側には手前に7基の二十三夜塔群、奥に4基の石仏群、さらに拝殿横の道路入口に3基の石祠が並んでいます。庚申群はこんな具合です。この中では手前から5基目が文化十三年(1816)一石百庚申塔で珍しいものです。そして13基目は宝暦十三年(1763)青面金剛塔ですがこんな具合です。邪鬼が正面向きで踏まれています。次に右側に十三夜塔群ですがなんな具合にならんでいます。手前は享保十四年?(1729)二十三夜聖観音で次が安永五年(1776)馬頭観音(以下の写真)、文字塔二十三夜が3基続きます。次が子供を左抱きにした天明七年((1787)子安塔で地区内最古だそうです。最後に馬頭観音がきます。次に奥に続く4基の石仏はこのような並びです。暗くて見難いですね。いつも境内の写真ではバックが明るくて苦労します。手前が享保十年((1725)時念仏塔で建立されたものです。次が寛保三年(1743)金剛界大日如来供養塔で貴重なものです。続いても文化十三年(1816)智拳印の大日如来です。その後は出羽三山塔なので省略します。石祠は入口左と拝殿横にあり大杉大明神、疱瘡神、石裂山大明神、子安明神など6基ほどです。今回は2箇所観仏でおしまいとしましょう。

0 件のコメント: