2008/12/22

13.北総石仏 印西木下Ⅱ

今回は石仏よりも石造物が盛り沢山のコースです。テキストは印西教育委員会「石との語らい」を手にして回ります。 
13-1.木下貝層(国指定天然記念物) 
木下特産貝化石の地層は天然記念物に指定されています。国道356号竹袋交差点に小山のような木下公園があります。道路から階段を上がると解説版つきでこの天然記念物の木下貝層を見ることが出来ます。勿論、無料です。 13-2.竹袋観音堂の石仏群
国道356号の竹袋交差点を横切って県道64号(千葉臼井印西線)を南下します。およそ800mで少し右路地を入り竹袋青年館のある竹袋観音堂の広場に着きます。観音堂の手前に加蘇山塔など5基が並んでいます。下の写真の左に出羽三山・西国・坂東・秩父巡拝の嘉永四年(1851)、明治元年の2基があります。残り3基は写真左から文政十三年(1830)の西国巡拝塔、明和九年?(1773)尾鑿山塔、明治27年加蘇山塔となっています。また、この広場には少しはなれたゴミ収集所のならびに12基の十九夜塔などが並んでいます。左端は元禄十三年(1700)十九夜塔です。 テキストの寛文八年(1668)阿弥陀如来はこれでしょう。寛文元年(1661)の石仏はこの写真ですがこれは正観音像と見えます。テキストに「寛文元年の庚申塔」の記載があるので他に寛文元年塔や庚申塔らしきものは見当たらずいささか混乱しました。庚申が観音塔でもありえますが、碑面を確認する余裕がなく再確認の必要がありそうです。13-3.竹袋稲荷神社の石祠群
観音堂の隣が稲荷神社です。観音堂正面からみると右手のほうからやってくることになります。鳥居は大正十四年です。神使の狛狐は檻に入っています。大正十年生まれから入っているわけではないでしょうが、目つきが暗くて可哀想ですが上等の出来と思います。前回の山根山不動尊にあった筆子塔の師匠古結大観先生の書で力強い天保二年(1831)月讀塔があります。境内に石祠28基は数え切れませんでした。明治43年の蠶影山塔は大きくて立派ですが写し損ないました。残念。 
13-4.竹袋三宝院の筆子塔 
稲荷神社を出て100mも進めば左手に三宝院がある。参道が奥まっているので車だと通り過ぎてしまいますが、お参りするにはしみじみとした雰囲気があって気持が休まります。 この参道手前では左に享保二十年(1735)の地蔵菩薩が立っています。並びに天明七年(1787)の時舟講中と読める三石六体・六地蔵と明和四年(1767)の十九夜塔が迎えてくれます。 向かい合って右手は「総州六阿弥陀第五番札所」の石柱が立っています。境内に入れば印西七福神・恵比寿神が目につきますが、お目当ては本堂裏手にあります。お寺の方にことわって左手から本堂裏にある住職墓地へ参ります。ここでミステリーですがテキストは「二十七世住職の筆子塔」となっていますが、それが昭和62年製の目茶新しいものでした。???と思いながら帰ってきましたが、テキスト略図はぼんやりと「二十三世」となっており形も自然石形で違っておりました。若し、テキストを見てたずねられる場合には誤植にご注意を。というわけで写真はありません。 代わりに立派な宝篋印塔を三基ばかり、左の寛永十五年(1638)塔は時念仏塔として建てられた大変立派なものです。 三宝院を出て南進し30mで右手に墓地が見えます。 
14-5.飯田家墓地側の庚申塔 
道路沿いには四基と奥にも四基並びます。前列左が天保九年((1838)青面金剛塔、文久元年(1861)文字庚申塔、弘化四年(1847)と明治二年の二十三夜塔です。後列は文政十三年(1830)二十三夜塔、享保十年(1725)文化二年(1805)文政五年(1822)の青面金剛・文字庚申塔です。又、この並びの墓地入口には馬頭観音塔が6基ほどあります。文化年代・嘉永七年?・明治・大正7年・昭和4年塔と連綿と信仰が続いていることがうかがえます。この墓地入口に写真のような「犬供養」が見られました。民間信仰が生きているのを肌で感じました。ビックリ犬供養とは「千葉県や履城県の利根川下流域をはじめ,栃木,福島,宮城の諸県にかけて行われる女の行事。この行事には,動物の死を弔うという性格と人間の安産を祈願するという性格とがある。福島,宮城では前者の,利根川下流域や栃木では後者の性格が強くみられる。利根川下流域では十九夜講やユサン講などの講員である若い嫁が,毎年2月から4月ころにかけて定期的に行うが,雌犬が死んだ際に臨時に行うこともある。犬卒塔婆とよぶ Y 字形の塔婆に握飯を入れた藁苞(わらづと)をつけて,村はずれの川や三差路まで鉦(かね)・太鼓で送っていき,そこに立ててくる。これは無事に子どもが生まれてくることを願う安産祈願の行事である。同時に,犬供養は犬卒塔婆を村境まで送っていって立てることから,虫送りなどと同じく,村の中の災厄を村外に送り出し,再び入ってこないようにする行事ともいえる。」:世界大百科事典から引用

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