2008/12/27

14.北総石仏 印西木下Ⅲ

印西教育委員会発行の「石との語らい」をテキストに木下地区の石仏巡り3回目ラストです。 前回の飯田家墓所から更に500mほど南進します。墓地と木立が右手に見えてきます。別所地蔵寺と熊野神社です。道路よりに神社があります。
14-1別所熊野神社 
訪ねてみると下の写真のように地蔵寺と熊野神社が並んで建っています。実際は熊野神社が少し後方ですが境内に同じ規模で建っているのを見ると不思議な空間を訪ねた気持になります。寺社ともに無住なので一層静かなワンダーランドです。 熊野神社には瞽女(ごぜ)の奉納手水石があります。享和三年(1803)別所村瞽女キヨと常州鹿嶋の瞽女ヒデが木下宿・発作村・惣深村のパトロン達の支援を得て手水石を奉納しました。「農村娯楽の貴重な資料」と解説が付いています。 又、道路よりに庚申塔が3基建っています。左は享保八年(1723)の青面金剛塔、真中は嘉永六年(1853)の庚申道標で「北きおろし道」「東小林道」等の表示があり、右は寛政三年(1791)の青面金剛塔が並んで道路を向いています。 14-2.別所地蔵寺の胎蔵界大日如来
同じ敷地といえこの大日如来を探すのには苦労しました。本堂裏に歴代住職の墓所の表示があります。その区画の三段目の後列左に「房総の石仏百選」に掲載されている大日如来がおわします。悲しいかな百仏本に収録された時と違い前列の如意輪観音と間隔を空けず設置されています。今では正面からの撮影は出来ません。寛永九年(1669)御時念仏講により設立された由緒正しい石仏であります。湯殿山本地仏である大日像はふっくらと量感豊かに衆生を見守っておられました。この区画には十九夜塔2基や筆子塔と呼ばれる住職の供養塔がありました。写真のような台座の表示「筆○○合」がそうらしいけれど私には読めません。勉強しなくちゃ。境内には近世の子安塔5基が子沢山のブロンズ地藏と並んでいたり印西大師第二十番社があったりします。獅子舞も無形文化財です。 14-3.別所宝泉院の石神
更に南進して50mほどで宝泉院の参道が右側にあります。入って左手の元文四年(1739)庚申塔は下の写真のように「庚申尊供養」塔と表示され笠付縦長のスマートな形です。その並びに明治22年の線彫り不動明王石碑もあります。テキストに表示された石神様(男性象徴)はなかなか見つかりません。表示もないしと帰り際に「もしかして破損?」と気付いたのが下の写真です。多分これかも・・・・・祠の下の円柱と傍の丸い石造物に注目・・・・合掌テキストにあったこのコース最後の別所青年館が見当たらず、子安塔などは回ることが出来ませんでした。このコースはこれにてお仕舞いとします。

0 件のコメント: